東京地方裁判所 昭和49年(ワ)9182号 判決 1978年2月24日
原告
株式会社産報
右代表者
中島宏
右訴訟代理人
赤沢俊一
同
吉羽真治
被告
藤野政成
右訴訟代理人
長瀬厚一郎
主文
一 被告は原告に対し、金九二万円及びこれに対する昭和四九年一一月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告、その余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の、その一を原告の各負担とする。
四 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。
二<証拠>を総合すれば、訴外会社の担当社員がその職務権限に基いて原告主張のような広告の依頼をなし、原告がこれを履行したこと、しかるに訴外会社が右代金を支払わず、しかもその支払の見込のないことが認められ、<証拠判断省略>。
三そこで、まず右広告のうち別紙一覧表(一)の昭和四九年三月契約分について被告の責任の有無をみるに、被告がその頃訴外会社の代表取締役であつたことは当事者間に争いがないから、右契約分の取引につき被告に悪意又は重過失が存したか否かを検討する。
<証拠>を総合すると、被告は昭和四四年頃より株式会社コンピユーター・マネージメントを経営していたが、昭和四八年一月に至り、別にレジヤー関係の事業をもなすべく訴外会社を設立したものの、同会社の経営より利益を挙げるのは約三年後を予定していたこと、訴外会社は同年六月頃より広くレジヤーを目的としたクラブ組織「スカイトピア」の運営を始めたが、結局縁故者を除いて入会状況もはかばかしくなく、翌四九年三月頃にはその的をゴルフ関係にしぼつたこと、昭和四八年八月以降訴外会社が得た入金は、同月二〇万円、同年一二月五万三〇〇〇円、昭和四九年二月五万六〇〇〇円というような状況であつたのに、その頃の同会社の経費は、社員の給料だけでも一か月四〇万円位を要したこと、右四九年三月頃からのゴルフ関係の運営も結局成功せず、訴外会社は昭和四九年七月頃事実上倒産したこと、以上の各事実が認められる。
<証拠判断省略>
四以上の事実関係によれば、訴外会社の原告に対する本件広告の依頼は同会社の新方針の実現に資するためのものであり、その限りにおいて右は企業における経営裁量の範囲内に属するものとみうる面もないではないが、しかし前記の如き訴外会社の当時の著しいアンバランスや一般にレジヤー産業の経営基盤ないし資産状態が不安定であること、被告もまた自らこれを予期していたとみられることを直視し、これを現下の経営者の社会的責任に照らすと、前記の如き極めて貧困な収支の状況下で本件の如き相当高額の広告申込をなしたことは、最早経営者に許されたる合理的裁量の域を超えたものとするのが相当である。
従つて、被告には本件三月分の契約につき代表取締役としての職務執行上少くとも重大な過失があつたものといわざるをえず、よつて被告は、右に因り原告の被つた損害たる右契約分の代金相当の金九二万円を賠償すべき義務がある。
五次に、別紙一覧表(二)の昭和四九年六月契約分について考えるに、被告が昭和四九年三月三一日訴外会社の代表取締役及び取締役(以下代表取締役のみを表示する。)を辞任した旨の同年五月一〇日付登記の存することは当事者間に争いがないところ、原告はまず右登記の効力を争うが、<証拠>によれば、辞任の時期は多少異るものの結局右の登記までに辞任の事実が認められるので、右登記は有効であるといわなければならない。
六右に対し、原告は右登記の存在を知らず且つ知らなかつたことにつき正当事由がある旨主張するので考えるに、商法一二条前段が、民法一一二条本文と異り、一旦代表取締役辞任等の登記(なお昭和二四年法律第一三七号の附則一〇項により別に公告することを要しない。)がある場合には第三者の悪意が擬制され、じ後善意の第三者に対してもこれを対抗しうる旨を定めている法意に徴すると、右商法一二条後段の「正当ノ事由」の解釈についても、これを民法一一二条但書の如く単なる無過失と同列に解することはできず、より限定的に解すべきは当然であろう。
しかしさりとて、右商法一二条前段の定める商業登記の公示力の重視に過ぎ、右「正当ノ事由」を交通杜絶、登記簿の滅失等の客観的障害のある場合にのみ限定するのは当を得ないというべく、右公示力の認められた所以と、商事における外観保護の制限(商法一四条、四二条、二六二条など)又は信義則等を対比考察してみると、右登記に優越するような外観ないし特別事情の存するときもまた右正当事由の存する場合に該ると解するのが相当である。
七そこで、右の見地から本件の事実関係をみるに、<証拠>を総合すると、被告は上記辞任登記後も社長室を使用することがあり、又後任の代表取締役たる高橋正三より旬日を経ずして代表者印を受取り、更に社員の給料を支払つたり、これを退職せしめたりしたことがあること、昭和四九年一〇月頃には自らの手で備品什器類を整理のうえ賃借建物を明渡していること、しかしてこれらの行為は折にふれ原告方担当社員の目にとまつていること等の事実が認められ、これらに、右六月分の契約が上記三月分の契約に引き続く取引であること、被告の辞任登記より右六月分の契約までの期間が約一か月余にすぎないことの事実関係を併せ考えると、本件においては、原告の善意につき正当事由が存すると解する余地がないではない。
しかし他方、<証拠>を参酌すると、被告は、前叙のように昭和四九年三月頃訴外会社の事業をゴルフ関係にしぼることとした際、前記コンピユーター・マネージメントの総務部長であつた高橋正三がかつて七年間位ゴルフ場の支配人をしていたことがあることより、同人に後事を託することとし、同年四月下旬内部的に代表取締役の交替を行い(なお被告は取締役をも辞任し、一切を右高橋に任せることとした)、ただじ後、正式に登記をなすまで事務引継の限度で社務に関与していたこと、同年五月一〇日右交替の登記を了したので、被告は訴外会社の株主代表ということで、高橋から新社長としての誓約書を受取ると共に、被告名で退任の、高橋名で就任の各挨拶状を原告をはじめとする各取引先に発送したこと、その後は高橋が訴外会社の経営を行い、被告は同一フロアーに在る前記コンピユーター・マネージメントの仕事に従事していたのであるが、右高橋にはかねてうつ病の傾向があつたところ、同年六月下旬頃その病状が進行し、医者より約三か月の安静療養を命ぜられ、又同年七月には高橋の所在が数日間不明になる等の事態が生じたため、被告は前認定のように事実上高橋に代る仕事をすることを余儀なくされたこと等の各事実が認められるのである。
八右後段に認定の事実関係からすると、被告の辞任登記の存在自体は原告方で知らなかつたとしても、被告の辞任(社長の交替)を窺わせる事情は存したのであり、しかも被告がその後後任社長の職務を事実上行つたについては叙上のような事情が存したのである。しかして、本件六月分の契約が三月分の契約に引き続くものとしても、その都度登記の調査方を強いることが社会通念上無理だという程の継続的取引でもないし、又、被告の辞任登記後本件六月分の契約までの期間が一か月余という点についても、例えば公告後一五日以内に限り一定の善意者を保護するドイツ商法一五条二項などの場合よりも長期であるうえ、右六月分の契約時である六月一二日は高橋が不充分ながら未だ代表取締役としての職務を執つていた時期でもある。その他、被告がことをまぎらわしくさせる目的等で本件辞任登記をしたというような事実を認めるに足る証拠は存しない。
このようにみてくると、被告において聊か軽率・安易な態度があつたとはいえ、本件において、その六月分の契約につき、前記被告の辞任登記に優越するまでの外観ないし特別事情があつたとまでは断ずることができず、即ち右登記についての原告の善意に関しては、未だ右登記の対抗力を失わせるに足る正当事由は認め難いものというの外ない。
従つて、原告の、右登記に対抗力なきことを前提とする本件六月契約分についての商法二六六条の三に基く請求は、じ余の争点を判断するまでもなく、失当として排斥を免れない。
九如上の次第であるから、原告の請求は、本件三月契約分に関する損害賠償金九二万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和四九年一一月九日(記録上明白)から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由あるものとしてこれを認容し(なお原告は右遅延損害金につき商事法定利率たる年六分の割合でこれを求めるが、当該会社の商取引上の債務ないしその変形たる損害賠償債務と異り、右会社の取締役等が商法二六六条の三により負う損害賠償債務は本質的にも商事債務ではないから、民事法定利率を超える部分は理由がない。)、その余は失当として棄却すべく、民事訴訟法九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。 (小谷卓男)
一覧表<省略>